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タイトルの謎々(リドル)

『海にいる黄色い船から君へ』
『かすみ草にゆれる汽車』
『五月に住む月星』

 この3作品のタイトル、「日本語的に奇妙」だと違和感を感じた人は、どれくらい居るものなのだろう。
 違和感を感じた後、考えて答えに辿り着いた人は、どれくらい居るものなのだろう。

 答え(一つの、ではあるが)を書いてしまうことは、内田善美氏が作っておいた「隠し抽斗(ひきだし)」・・・『ゲイルズバーグの春を愛す』の「愛の手紙」にあるヤツ・・・を開けてしまうようで、答え(一つの、である)を目にされることで、「隠し抽斗(ひきだし)」そのものを見つけた時の驚き、感動、あるいは戦慄、を感じる機会を失わせてしまうように思う。
 戦慄。1879年に撮られた少女の写真をアンティークショップで見つけた時ヒュー・バイダーベックが感じたような。
 ネタバレ厳禁の某表現者に慣らされてしまっているが故の自主規制かもしれないけれど。

 ギフトボックスを渡されて、「これ、ビックリ箱だけど、カクカクシカジカな物が入ってて飛び出してくるから」と言われたら、もうそれは「ビックリ箱」ではない。分類、名称としては「ビックリ箱」ではあるから言葉としては正しい。
 ある種の仕掛けが組み込まれた箱という意味のビックリ箱。
 でも、開けた人をビックリさせるという役目を果たすことのなかった、単なる仕掛け箱。
 だから、「ビックリ箱」ではない、だ。

 ネタバレというのは、役目を果たすよう配された表現があるにもかかわらず、その役目を台無しにして伝達していくことなんだと思っている。
 伝達時に「?→!」を「??→!!」や「???→!!!」にも出来なくもないのだけど、互いの読解力や経験やら感性やらが問われてくるので簡単ではない。

『かすみ草にゆれる汽車』
 2番目にあげた『かすみ草にゆれる汽車』。
 かすみ草が咲き乱れる草原に、汽車が止まっていて、かすみ草がユサユサ揺さぶっているって、どんな恐怖映画、SF映画なんだって思ってしまう。
 走る汽車と、ゆれるかすみ草。
 『汽車にゆれる かすみ草』。
 汽車に乗ってい人が表現するならば、「ゆれる汽車」なら正しい。車窓からかすみ草が見えているなら、 『かすみ草とゆれる汽車』。
 『に』ではなく『と』なら、正しいと思う。

 主人公の幼馴染、片思いの少女の名前がカスミソウの英名のジプソフィラ。
 彼女が思いをよせるのが新聞記者。
 故に「ジプソフィラに(心)ゆれる記者」あたりが正しい文章。
 これは、作品の最後に「かすみ草」にジプソフィラとフリガナを振ってあるのが、謎々の「答え」というところだろう。

 題名の謎、違和感のある言葉遣いは、何かが、そこにあるという、サイン。
 知識と聡明さを持ち合わせ、構築されたものを作る人、作れる人が、作品の大切な題で言葉の間違いなどするわけがない。

『海にいる黄色い船から君へ』
 この作品のタイトルや台詞の言葉遣いの裏がわかった時、愕然として、頭によぎったものを、打ち消そうとした。

 まさかと思ったけれど、『かすみ草にゆれる汽車』という初級編とも思えるものがあった(収録された単行本のタイトルになっているので常に目にするようになっていたというのも、うなってしまったのだけど)。
 加えて、『ソムニウム夜間飛行記』という『写真集』の存在。
 実体・実像と『ネガ』と『ポジ』。
 実体・実像=内田善美氏が持つ深く広い知識と世界。あるいは、現実世界。
 『ネガ』=作品になる前、現像(作品化)する前のもの。
 『ポジ』=作品。
 「内田善美氏のポジ(作品)」を手にして、年をとり、『ネガ』を意識するようになると、「隠し抽斗」が開きだした。

「海の底に "ある" 黄色い船から」で潜水艦を指すのなら、わかる。
でも、そうじゃない。
単行本では、表紙タイトル「海にいる黄色い船」の下に「イエロー・サブマリン」と書かれてはいる。
しかし、その表紙の絵の違和感。
「おまえの残した貝の標本」そんな台詞が作品中にあった。
表紙に描かれているものは、その標本の一部じゃないかと思った。
海にかかわるものは、点描で、そうでないもの(蝶と花)は、実線で描かれている。
そして、潜水の装備を身に付けた青年の写真。
遺影と祭壇がわりなんじゃないかと、思った。それを飾るのは、「君へ」と呼びかけられている少女、青年と同じように大人になったであろう、亜里。

少年・志津桜は、「海にはね黄色い船(サブマリン)がいるよ」とは口にした。
その同じページで、海月蝶々魚の群れが横切っている。
「たこのジェット推進」・・・確かに移動方法はそう呼ぶらしいのだが、乗り物をイメージしてしまう。
「魚になった君の父さんにもどこかの海で会えるかもしれない」と、死んで魚となる話も出ている。

父を海で亡くし、今、また共に歩もうとしていた人(志津桜)まで亡くすとしたら、亜里は、どれほどの悲しみだろう。

「この利休ねずみの目にはみえるのだろうか」
「なんという不思議な感動だろう」

内田善美氏の持つ『ネガ』、というのは、こういうもの。
読者自身が、現像能力を持ち、作品以外の画像、言葉を自らの意識に作り上げること。

こうして僕は―
ひいては返す波のように
絶えることなく
君に海からの手紙を
つづることになった
そしていつか
もっと大きな船が買えたら
それは小さな亜里が
どんなにか美しい女性になっている頃のことか!

君と僕その黄色い船にのって
深海魚のように海の底で
光を灯して住むんだ

僕は海の研究をして
君はミロのような
不思議な絵をかいて

この作品は(発表当時の)現代の日本を舞台にしている。
黄色い船を買って深海で二人暮らす。
最後にそんな「夢」が語られている。
行くのではなく、時折潜りすごす、のでなく「暮らす」。
不可能だ。

どんなにか美しい女性になっている頃のことか!

亜里は、まだ、可愛い女の子なのだろう。
未来が語られながら、最後のコマは暗く、海の底のように灯かりがともっているかのようなのだけど、それは、浮き上がることが不可能になった小さな潜水艦からの光のような。
上っていく小さな光のような、点描で描かれたものは、まるで魂が、地上に上っていく軌跡のようで。

点描。
表紙の点描で描かれた海の生き物たち。それとの一致。

作品最後の「The Happy End」のHappyの文字。
他の作品では、一度もそんな単語は使われていない。
この作品はいわゆる 「Happy End」ではないのではないか。

最後の漫画が発売された後、ぶ~けデラックス1987年夏号のピンナップ「天降る月人」に描かれている葦(あし・よし)。
内田善美氏の作品には裏の意味、別の意味、裏返した表現というものが存在するということを、ソムニウム夜間飛行記という「写真集」から確認出来るので、そういう解釈に辿り着いた。
朝日新聞に掲載された当時、謎々遊びのイラストにだけ、「Yo.UcThida」のサインがあった(縮刷版で確認)。
自選複製原画集の、アムレード('79)、レース編みを身につけている騎士、19歳のオスカー(oct 10 '79か)にあるやつ。
タロットカードも、正・逆、上下が変わると意味も変わる、というのがある(内田善美氏は付録でタロットカードも描かれたことがある)。

「裏の意味」だの「別の意味」など、まさかと思われるかもしれないけれど。

「弱き人間の目には秘密の曝されることはない」(ポーのドリームランド)
最初の単行本収録の4作品の前には、「ドリームランドの船シリーズ」とつけられている。
このシリーズは密かに続いていた。『オレンジ月夜のイカロス』『ルシフェルの木』は間違いないだろう。
「ドリームランドの船」シリーズを夢を持つ者の話、とくくるなら、含めてもおかしくない作品は増える。

ドリームランド自体の由来は、『星の時計のLiddell』で最後に明らかにされたので、続いていたと思って良いだろう。

内田善美氏が用意した隠し抽斗の中には、ハンス・ホルバインの「大使たち」の頭蓋骨のようなものもある。
紙面を斜めから見たところで見つかるものではないけれど、年をとって「斜めに見る」ことを覚えたり、言葉に出来ない言葉なんてものを聞いたり話すようになると、見えてくるものもあると思う。

長くなったので『五月に住む月星』は別に。

ユリウス通日を使っていれば、昨日も今日も明日も、単に1日過ぎただけで、今日もなんてことのない日、だったりするのかも。

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