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利休ねずみの瞳

利休ねずみの目に見える

『海にいる黄色い船から君へ』の言葉。
何にもない水中に、話をあわせるというのではなく、「そこにある」ことを想像し「見る」という反応。
「不思議な感動」が、香月志津桜(こうづきしずお)という主人公に生まれた、と。
「見る」というのが、難しいことだとわかる。
出会ったことで、1人の頭の中の想像物でしかないものが、実体としては存在しなくても、2人の間には確実に存在する「何か」となるってのが、その後の、『パンプキン・パンプキン』の、パンプキン・グリーンとしても表現されてる。

世代的に違うから、ビートルズのイエローサブマリンとかからなのかどうかわからない。
ただ、オノ・ヨーコさんとジョン・レノンさんの出会いとか、関係とか、内田善美さんにとっては好ましく映っていたと思う。

内田さんて、読者の女の子たちが、出会った頃には「夢を追ってる彼って素敵」と思いはするが、いつしか夢を諦めさせようとする「現実的」な「女の子」ではなく、一緒に夢を追って、それを「現実」として生きる「女の子」になることを望んでたんじゃないかと思う。
で、最後の作品の頃、加筆修正しはじめた頃かもしれないけど、NICK KERSHOWさんが「THE RIDDLE」を出して、それに女の子が、最後には、館を飛び出し、「水着で色気で勝負!」みたいな「女」となり作り手(NICK KERSHOWさん)だけが取り残されるというPVが作られていたようで。
個性的な音楽家は、頭一つ抜き出て好きという答えを見たことあって。
これで、区切りになってしまったのかと思ったり。
1・2巻が、トントンと出版されたのに、3巻の遅れというのも、 気になって。
数年前に見かけた、「悪魔の絵本の歌」と挿絵『悪魔の絵本』など見ると、描くのをやめる気だったんだなって思わざるをえない。

表現者に表現をやめさせる大きなきっかけの一つって、表現することに意味がない、と思わせることなのです。
dkさんも一時そうだったし。
でも、五世野村万之丞さんと関わって、あんな壮絶な「最後の舞台」やられたら、おいそれとはやめれないだろうなって思うけど。
私は、五世野村万之丞さんが、まさかそこまで先を考えてるとは思ってなかった。
告知を受けて自分の体の状況を知って、先のことも考え、やろうとしてたら、それって、もう、「人間」の域を越えてて、「芸の鬼」なんて言う言葉もあるけど、まさしく、それだってことで・・・。
病気になる舞台人も多いけど、大抵、治療に専念なのだもの。
背負っているものが違いすぎるののか、違いすぎたのか。

あらたなもの

いつ、どこに現れるのかと思っていた。

すごいです。

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